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今日は旧暦の8月15日、十五夜ですね。私は京都府立植物園の芝に寝転んでお月様を拝見してきました。空高くから多くの人々に降り注ぐ月明かりと虫の声、そして京都出身のキッサコというボーカルユニット、そしてEPOの歌声を楽しみました。この催しは今年で17回目だそうですが、今まで植物園がこんな事をしているって全然知りませんでした。夜の植物園が開放されるのは年に三回で、春の桜のライトアップとクリスマスのイルミネーション、そして今日の「名月観賞の夕べ」だそうです。京都の植物園おしゃれな事やるんですね。見直しました。一年を通してそれぞれの季節の植物を感じる事のできるところが、こんなに近くにありました。自分がこの地球上で生かされている生命の一部であることが実感できる場所として私のお気に入りになりました。

秋の気配

気がつけばもう9月でした。と言うのも、つい3日前に学校の試験がようやく終わった所で、私は世の中が夏休みであるとか、お盆であるとかを余り意識する事無く日々を過ごしておりました。2年目の勉強は1年目の基礎を踏まえた上での専門分野に入っております。内容が非常に細かく、理解力、記憶力共にイッパイイッパイの状態で突き進んでいる状態でした。それと同時にリンパ浮腫のお客様の為に一生懸命サロンの活動もしているものですから、季節感などを味わっている余裕はありませんでした。試験からやっと開放されてみると今はもう秋と呼ばれる季節になっていました。
そうなんです。一年の中で一番好きな季節です。この土日のお休みで、私は素敵な素敵な日本の秋の気分を満喫してしまいました。趣味の源氏物語の講座へ行ったり、日本文化のあるいは京都の文化の素晴らしさに心ゆくまでうっとりさせてもらいました。
昨夜は満月の夜でしたね。秋の月を見つめてリンパ浮腫治療への道を誓った頃を思い出しました。
あの頃の自分はともすればへこたれてしまいそうなぎりぎりの気持ちでいたのですが、何故か自分の信じる道が一筋だけ示されていた気がします。そしてその信じたものを決してあきらめない事が大切なのだと思います。と言ってもそんなに若くない私、がむしゃらになる程パワーもないし、自分のペースでしかできないからいつもいつも上手くいくとは限りません。そう、いつも完全である必要はないんですよね。ただ、最後まであきらめないでやり遂げる事。ここを大切にしたいと思います。
ふんわりと温かな桜吹雪に心浮き立つ季節です。人々は思い思いのお弁当やお酒などを持って桜の木の下に集います。新学期、新しい世界へと希望を胸に膨らませいるような何となく幸せな空気が日本中に満ちています。だけど、そんな圧倒的に華やかな空気に隔たりを感じてしまう瞬間があるのは私だけでしょうか。世の中が明るく楽しそうな時に我が心の中には寒風が吹きすさぶというような気分です。日本中が桜色に染まる時、ただ目に映る美しさだけではなく、陰と陽の気分を無意識に感じているから一時的に私達はロマンチストになるのではないかとふと思いました。桜の季節にいつもよりうんと感性が高まって絵が生まれ詩が生まれ人は素直に優しくなるのではないかと思いました。今あなたの心にもし痛みを感じているとしたら、それは優しさ、素直さ、柔らかさの証拠です。それはとても素敵な事なんです。こんな風に感じる心を持っている自分は素敵なんだって言ってあげてください。そして、痛みはいつまでも持っていなくてもいいのだと。今すぐ痛みを手放してもあなたは優しくて素直で素敵な人である事には変わりがないと。自分の心を酢のように蝕んでしまうような気分や感情はためらうことなく手放しましょう。病気のあるなしに関わらず健全な心と身体を持ち続けるための春の一口メモでした。
今日のお昼の北朝鮮の実験に対して各国の反応をニュースでやりました。わが国の首相、官房長官は言葉は「断固として抗議する」でありながら何とも弱腰な印象でした。BBCのニュースをインターネットで見てみても日本は"極めて遺憾"という反応をしたとあり、一方韓国は今回の暴挙を許す事はできないという表現だったように思います。わが国の上を飛び越えるなんて本当に甘く見られてますよね。日本の政治家さん達、しっかりしてよという気持ちでいる所にオバマ大統領のスピーチのかっこいい事!何か問題が起こった時って仲間の心が結ばれるチャンスなんだと彼は分かっているんだなあと本当に感心しました。
昨夜「マンマ・ミーア」を観て来ました。メリル・ストリープのファンですので、遅がけながら大画面で観ておきたいと思いまして。映画はミュージカル仕立てでギリシャの美しい景色と歌と踊りで元気一杯でした。若者達の歌と踊りのレベルが非常に高くて、メリルと相方の二人のおばちゃん(おばあちゃん?)が、はじけまくって圧倒的でした。その対比がある種切なく、「老いる」ということや「人生を重ねる」ことの意味を強めていました。実は私は何年か前にピンク・レディーの限定復活コンサートにも行った事のある人間ですが、年齢にそぐわないほどのパワフルな姿にこわいものを感じながらも勇気をもらっているのでした。
昨夜、「オーストラリア」という映画を観てきました。
日本軍が悪く描かれていて嫌だったけど、
そこは俳優さんの素敵さでカバーしてくれてました。
二コールキッドマンの乗馬の気持ちで
私は今日もまた自転車で嵯峨まで行ってきました。
だけど、途中でちょっとトラブルがありました。
自転車のネットがチェーンの所に絡まって巻き取られてしまい、どうにもならなく。。。。
困って自転車やに電話しても時間がかかるとのことで。
ふと目を上げると目の前に寂れた自転車屋さんがありまして、
そこのおじいさんにすばやく直してもらいました。
ほんの少し企図振戦がありつつも、その手つきや身のこなしには
アートを感じさせる何かがありました。
直してもらっている間に、空がかき曇り、雨が降ってきてました。
直った自転車に再び乗っていると空は晴れてきたという訳で。
トラブルとかハプニングって起こってはくるけれど、
そこにはちゃんと解決という道も用意されているのだと痛感した次第です。

自転車

近頃私は自転車に乗っています。
重い教科書や解剖学の本を後のかごにどーんと乗せて
電動自転車で通学する為に去年から乗っています。
それまでは車にばかり乗っていた人間にとっては
風を切って走る心地よさと共に色々な新発見をしました。
自分が歩行者の立場で舗道における自転車の暴走ぶり
を非常に苦々しく思っている事もあって
私は可能な限り車道を走ります。
それでも停車したり発進する車やバスがありますから
自転車はその度に怖い思いをしなければなりません。
車道において一番弱い立場の自転車に対して
クラクションを鳴らす不届きもののバスもあるんですよね。
同じ道路なのに自分が何に乗っているかによって
感じ方、視点がこんなにも変わるものなんだという事を
痛感している次第です。
自転車運転わかばマークの私は色々と学習を重ねながら,
有酸素運動も兼ねながら、快適に、安全に、気分良く、効率よくお金もかけない自転車という移動手段を研究しています。
私達は元来、幸せで、健康で、善なる存在であるはずです。が、ともすれば苦しく辛い考え方をする傾向にあるのも私達の現実です。病気はそこに気づかせて本来の状態に戻りなさいというメッセージを伝えてくれる存在だと考える事ができるでしょう。とすれば、病気は災いではなく新しい生き方へと導いてくれる恵みの存在と言う事になります。病気を引き寄せてしまうのは自分を否定しがちな、プレッシャーを与える、ストレスを生み出してしまう考え方であり、それを健全信念に書き直していくという作業は病気であるなしに関わらず大変重要で有意義な仕事です。心を通して病気になり、心を通して癒されるのです。きちんとその部分に向き合って具体的な取り組みができると言う事が人生を豊かにします。私達の心が本当の喜びを感じる時はどんな時なのでしょう?それは自分に起こっている事を嘆くのではなく、『感謝する』事かもしれません。私達が望む出来事は私達が望む形で現れるのではなく、必要な形で現れると信じます。すると、徐々に自己中心性から開放されていき、何事に対しても『感謝』が出来るようになるでしょう。
その状態こそ私達の心に喜びと深い充足感をもたらしてくれるものだと思います。

今日は13年前の1月17日の事を何度となく思い出していました。私は当時西宮市民でした。あの地震の一年ほど前から、小さな地震が何回かあったのも爆発寸前の予兆のようなものだったのでしょう。5時45分、まだ床の中にいた私は何やら地の底から沸き起こってくるような音で目を覚ましました。その音は次の瞬間には身も心も揺さぶる位の規模になり、家がきしみ、私は寝ていたベッドごと部屋の中を滑って反対側の壁にぶつかりました。これは普通の地震ではないと思いました。地の底に眠っていた“悪しきもの”が地上にもがき出てきたかのような不気味さが何十秒も続きました。電気もガスも水道も一瞬のうちに断絶していました。庭も玄関の前も道も穴が開き、ゆがみ、隆起して、蒸気が上がっていました。お向かいの家はぺしゃんこになっていました。家の中の全てのものは割れるものは割れ、落ちるものは落ちていました。茫然としながらも何度も襲ってくる余震の度に震えながら家の外に飛び出しました。幼稚園生の二人の子供は夜が明けて周りの景色を見ると、驚いて目を丸くしていました。しかしながら、まるでピクニックのように外でお布団に包りながら冷蔵庫にあったものを食べ、私の言いつけに聞き分けよく、従いました。白い息を吐きながら朝日の中でニコニコしていた彼らの顔は地震の怖さとは対照的でした。突発的な災難が降り掛かる時、家族や友人、近隣の人々は団結します。いつもは別々にある心が繋がり、力を合わせます。私はこの地震とそれに続く避難生活を通じて人の情けの温もりを感じずにはいられませんでした。今日はその事を何度も思い返した日となりました。

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明けましておめでとうございます。
皆様、よいお正月を迎えられましたでしょうか?
私は年末年始には日本という国に生まれ育った事を改めて感じる事が多いです。
特に今年は「源氏物語千年紀」とされていますよね。私は世界文学の中でも最も美しい物語の一つである源氏物語の舞台となった京都で、この年を迎えられることがとても幸運なことに思えます。先月の今頃国外で過ごしていた事もあるのかもしれませんが、私は日本という国ほど素晴らしい国はないと確信するようになりました。日本人の長い歴史の中で遺伝子の中に組み込まれた細やかな感受性は、他に類を見ない宝だと思います。今年は自然と共生しつつ人と人の遣り取りを芸術的に洗練させていった平安の人々の遺産を、改めて味わう年にしたいと感じています。『もののあわれ』という観点に立つと、大自然の一部としての自分の人生、自分の健康を捉えることができ、気持ちが楽になるような気がしてくるのです。

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私たちは病気を経験しています。始めの時期には何故このような事になったのかと嘆いた事もありました。しかし、病気と共に人生を歩み始めてから与えられたものが実はすごくあるのだと気づかされてくる時がくるのですね。もしかすると病気と共に何らかのチャンスが与えられているのかも知れません。
私の場合は、まず生きる上で当たり前のことなど一つも無かったことに気付かされました。健康にも日常生活にも何の問題も無いという事自体の素晴らしさを知りました。そして次第に自分の心の深い部分のうごめいているのに気づいていきました。その部分は光の当たらないところで、今までもうごめいていたのに自分で蓋をしてあえて気づこうとしなかったのかもしれません。病気が私にメッセージを送ってくれることがなかったら、私の心はぼろぼろの難破船のようだったかもしれないと、今ではそう思えるのです。
病気になった人は人生の宝物を見つけるチャンスを与えられているのかもしれません。

先日ドクターKT様から頂いた詩を何度も読み返しながら、そんな事を思いました。

皆様にとって、今日一日が実り多き一日であります様に。

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DrKT様から『難病の中学生の詩』にコメントをしていただき、素晴らしい詩を教えていただきました。皆様に読んでいただきやすいように、改めてここに紹介させていただきます。
ニューヨーク大学リハビリテーション研究所の壁に掲げられているそうです。

 「病者の祈り」

 大事をなそうとして
 力を与えてほしいと神に求めたのに
 慎み深く従順であるようにと
 弱さを授かった

 より偉大なことができるようにと
 健康を求めたのに
 より良きことができるようにと
 病弱を与えられた

 幸せになろうとして
 富を求めたのに
 賢明であるようにと
 貧困を授かった

 世の人々の賞賛を得ようとして
 権力を求めたのに
 神の前にひざまずくようにと
 弱さを授かった

 求めたものは
 一つとして与えられなかったが
 願いはすべて聞きとどけられた

 神の意に添わぬ者であるにもかかわらず
 心の中の言い表せない祈りは
 すべてかなえられた

 私はあらゆる人の中で
 もっとも豊かに祝福されたのだ

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お月様

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9月25日は旧暦の8月15日で、中秋の名月が見られました。去年のお月見の直後から私のリンパ浮腫は見る見るうちに悪化した事を、しみじみと思い出しました。それからの一年はまさに辛抱と努力の積み重ねでした。へこたれそうになりながらも、私を支えてくれる人達のお陰で何とか頑張って来れました。ようやく随分改善して、今年の月を眺める事ができ、本当に感謝です。月は私に「リンパ浮腫についての学びを深めなさい」というメッセージを送ってくれたようにも思えます。昔の人達もこの月を眺めて色々な感謝の思いを深めていたのでしょうか。月に寄せるたくさんの美しい言葉がありますね。
十五夜への期待がふくらむ前夜は「待宵(まつよい)」、
月は「小望月(こもちづき)」、
待ちに待った当夜、雨や雲で見えないことを「雨月(うげつ)」と名づけていました。
又、十五夜の次の月を「十六夜(いざよい)」、
十七夜の月を「立待月(たちまちづき)」、
十八夜を「居待月(いまちづき)」、
そして四日目の月を「臥待月(ふしまちづき)」と呼び、
日毎に表情をかえる月の風情を楽しんだのだそうです。
私は同じ月を見て、「狼男」とか「人を惑わす」「精神が狂う」などの発想をする西洋人ではなく、やはり日本人に生まれてよかったと思います。
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滋賀県のこども病院の中学3年生の藤本一宇君という男の子が書いた詩に感動しました。自分にとって病気はどんな意味を持つのかという問題と真剣に向き合っている人の姿に、年齢を超えて尊敬の念を抱きました。
『病気』という詩が二つです。

『病気』(1)

この病気は
僕になにを教えてくれたのか
今ならわかる気がする
病気になったばかりの頃は
なぜ どうして
それしか考えられなかった
自分のしてきたことを
ふりかえりもしないで
けどこの病気が気づかせてくれた
僕に夢もくれた
絶対僕には
病気が必要だった
ありがとう

『病気』(2)

この病気になって4ヶ月
いつになったら
退院出来るのかなあ
でも この病気は神様が
くれたものだ
僕がこの病気に
ならなかったら
きっと
悪い心の持ち主だっただろう
ありがとう神様
ぼくを救ってくれて

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